おにぎりの具を取り出す作業

中身があることを願って

書店棚作りとの対話

最近久しぶりに本屋で本を探すなんてことをしまして、そんな折に丁度Twitterに流れてきた下の記事から思った事がありましたので書き記します。

本を手にとりたくなる売場の演出について
主に多面展開とPOPについて。

http://togetter.com/li/252270

強引に簡単すぎるほどにまとめると
・棚作りの考え方が書店員さんごと、店ごとに色々ある
・新刊台での展開、多面陳列、多箇所展開をして目立たせる。棚差しや棚前の平積み、面陳列、POP。棚に文脈を持たせたり店の個性を出すとか技術がある
・売り場の制限がある中で自分が読んでみて面白い本や、話題の本を売ろうと工夫している
・何かを買おうとしている人だけでなく、ふらっと寄った人にも売る工夫


で、私が探していたのは津田大介氏の情報の呼吸法。Amazonで買えば良いのですが、購入しようと思った時には在庫なしで発送まで4~6日かかるなんて状況でしたので、こうなったら本屋で買いましょうとなったわけです。しかし流石にAmazonで売り切れる本。近場の本屋を4,5店回っても売っていない。その頃にはとっくに1週間経っているのですが、意地でも本屋で買おうという勢いになり、外出したついでにズンドコと車で流して手当たり次第に本屋に入る。そうしてやっとのことで「本なら何でも揃う」に偽りなしの宮脇書店さんで、1冊だけ残っていた初版本を奇跡的に購入できました。
・・・という目的の本を探す旅をしている中で、せっかくだからその店全体を見て周るなんてことをしました。すると上記のTogetterに出てきたお話を思い出して「あー、これがそうか」と思ったりしました。しかし思うだけであり、買おうという気にさせる棚作りはありませんでした。それには様々な理由があり、そりゃもう片田舎の書店だからということも大きいと思いますが、何しろ本が多すぎる。そして自分自身が読もうという本が既に「ほしい物リスト」に沢山ストックされており、積ん読本が家にあり、ブックマークの「あとで読む」が溜まっており、Twitterのタイムラインが延々と流れ続けるテキストの洪水であり・・・とか考え始めると本以外の娯楽が多すぎるとか、可処分時間の奪い合いだとか別領域にぶっ飛んでしまい、買い手側の問題ばかりなので止めます。・・・いやしかし、売れているのは分かりますが「謎解きはディナーのあとで」積みすぎじゃないですか?

そんな考えに止めを刺してくれたのは日経新聞2月5日の読書面、「半歩遅れの読書術」東浩紀氏の記事。

~利用するのはもっぱらオンライン書店だ。利便性が最大の理由だが ~中略~ 
その原因は「棚作りの意図がわかりすぎてしまうこと」にある。~中略~ 
棚を一瞥しポップを読んだだけで、書店員の考えや立ち位置が想像できるようになってくる。~中略~ 
書店の棚がますます新刊に、それも売れない新刊に埋め尽くされるようになっているという事実である。~中略~
つまりは、いまやリアル書店は新刊のフローに呑み込まれ、教養のストックの場としての機能しなくなっているのだ。~」

記事中で90年代から新刊発行点数が急増し、90年代中頃から本が売れなくなっている、にも関わらず新刊は増え続けたと解説。だからなおさら売れる本を集中的に前面に出していく陳列になっている。というような事を仰っています。(最後の一文を含めて、書店に「教養に導く機能の回復を」という提言なのですが、このブログ記事用に勝手に解釈させて頂きます。)

つまり書店のセルアウト化が表面に見え過ぎてしまって気持ち悪く、さらに私のような天邪鬼には「流行りに乗ることで自分は負けた気になってしまう」という矮小な自尊心が全力拒否。これはイケない!紀伊國屋書店や丸善に行って、素晴らしく棚作りされた店で叩きのめされるように本を買ってみたい!という田舎者の憧れ。
しかし、東浩紀氏が東京育ち東京暮らしであるのにそんな事を思うという事は、名だたる老舗書店もそんな波に飲まれているのでしょうか。やっぱり謎解きはディナーのあとでが多面特盛陳列?